卒業生より

My journey in Australia By T.H. (2013年 3年間留学卒業生)

僕はオーストラリアに来た日を覚えていない。でも何を経験し、何を獲れたかははっきり覚えているし感じている。僕は昔からグループ活動が嫌いで、たくさんの人と話すのが苦手だった。いつも勝手に一人行動を始めるし、人と関わることを避けていた。いわゆる一匹狼だった。友達がいないわけではない、ただ1人でいる時間が好きだったし、その頃は一匹狼の人はかっこいいと思っていたからだ。今それを思うと少し恥ずかしい。さらに、僕は負けず嫌いだったし、人の前では絶対泣かない頑固者。なのに人1倍目立ちたがり屋で、何も考えず行動するような人だった。

乗り越えれない壁は存在しない

オーストラリアに来て1番最初の壁は極度のホームシックだった。前述したように、自分の弱いところを見せるのが嫌いだった僕。周りが「ホームシックだ」、「日本に帰りたい」と言ってても絶対に僕はそのような言葉を発しなかった。おまけに、友達が「ホームシックにならないの?」と聞いて来た時は、平気な顔して「なるわけない」と答えてた。でも実際はすごく苦しかったし、布団に入ると泣いてばかりで全然寝付けなかったのも覚えている。なんであんなに強がってたのか今の自分でも分からない。(笑)

友達作りもあの頃は大変だった。どうやって接して良いのか分からなかったし、自分の英語にも自信が無かった。言葉の壁はどうしても留学をする人にとっては大きな壁だ。でも僕には大きな武器があった。それは、バスケットボールをしていることだった。学校の体育の授業でバスケットボールをした時に一躍有名になった。あと、あだ名まで付けられた。たしか、Freight Train。直訳すると貨物列車。実際に付けられた意味は貨物列車は駅で止まることがない。止めれないという意味でこのあだ名にしてくれたらしい。自分でも結構気にってる。学校では大体の人が僕のことを知ってるし、Davidsonでも有名人らしい。だから、自分から接しに行かなくても、相手が来てくれたし、友達作りに困ることはあまり無かった。今ではあまりあだ名で呼んでくれる人はいないけど、僕がバスケのTSUKASAだと知ってる人が多く、先生からも声をかけられるし、年下の生徒からは引っ張りだこである。これがちょっとした僕の自慢だ。

今思えばすごいことだけど、留学1年目に親に連絡したことが無かった。Mr. Manningにも2年目に入って到着の連絡はしろと怒られたのも覚えてるし、「親と連絡してるか?」ってたまに聞かれる。嫌いだったわけじゃない、ただ、日本と連絡をとる手段を自分は持ってなかっただけ(笑)1年目はパソコンを持って行ったらダメだったし、iPodも持って無かった。ホストファミリーの家にはパソコンもあったけど使わなかった。ICETの皆が携帯を買い始めた時も僕だけ持ってなかったし、遊びに行く約束をするときは随分と迷惑をかけた。(笑)

僕にとってiPodを持っていなかったのはいいことだったと思う。Skypeで親と話したとか、日本に連絡したとか聞いてたけど、そんなに現状報告が必要かと思うばかりだったし、どうせ1年後に会うのだから、会う日まで取っとけよとまで思ってた。iPodを持ってたらやっぱり何時間もそっちに目がいってしまう。そうすると、どうしてもホストファミリーのことを気にしながら生活しないといけなくなって疲れも貯まる。全然いいことない。

最高の環境

僕とホストファミリーはとても相性が良かった。ホストは全員で4人。親と男兄弟2人。自分の家族構成と全く同じだったし、考え方、やることまで似てた。Host dadはテンションが高いおじさん。いつもおやじギャグを言うし、女の子の話が大好きで夕食はいつもそんな話題で盛り上がる。Host mumはいつも冷静にdadに対応して、またそれが面白い。料理も上手だし、僕の大好物はスパゲティー・ボロネーズとグラタン。1番上のお兄ちゃんは大学のために家にいるのはほんとたまにだけど、スポーツ万能で高校では生徒会にも入ってたし身長192ぐらいのイケメン。日本に行けばモテモテだろーな。そして、弟も負けてない。歳は僕より1つ下だけど身長は187はある。バスケをやってて州代表の選手だ。ICETの女子生徒からは高評価の弟。3年留学中はほとんど弟と過ごしてた。歳が近いから話題や趣味も一緒だし、週末になるとビーチにサーフボードを持ってサーフィンを1日中してた。オーストラリアはたくさんビーチがあるから、日本で言うと駅前に遊びに行く感覚でビーチに行ってた。お陰で、肌がビダーチョコレート色になるぐらい日焼けをしたし、海が綺麗なオーストラリアでは野生のイルカや鯨を近くで見ることもできる。オーストラリアで過ごすにはビーチが欠かせないのです(笑)

自分の部屋もすごく良い部屋で、洗面所、キッチン、ソファーが二つにビリヤード台。テレビもあるし卓球台まで。そして自分の寝室がある。今では自分の特等席もあるし、友達も今、留学している後輩も妬む部屋に3年間住まわせてもらい、僕の部屋に住みたいと言う後輩も少なからずいる。 最高の環境の中で留学をさせて貰っていたと思っている。

僕の勉強のしかた

1年留学と3年留学の違いは大きい。英語力だけじゃないし、経験する出来事も多くなる。でも、僕が3年間留学を選んだ理由は別にあった。 それは勉強のスタイルだ。人間はいろんな形で区別される。勉強が好きな人、勉強があまり好きではない人。スポーツが得意な人や、あまり得意ではない人。日本の勉強するスタイルは先生が生徒に教え、生徒は懸命にノートをとるのが一般的である。でもオーストラリアは違う。先生が基礎知識を教えたあとは、生徒が授業をしたり、こっちの学校では当たり前だが、ディスカッションをよくする。教科によって変わってくるが、僕の選択していた教科のほとんどがこの勉強スタイルだった。生徒が生徒に教えることもあれば、先生にも指摘することだってある。勉強をするのにもいろいろな種類がある。日本のように書いて勉強する。聞いて勉強する。見て勉強する。実際に手や足など、体を使って、動きながら勉強する。勉強ができないのではなくて、嫌いな教科の勉強する種類が合ってないだけ。逆に好きな教科は現在やっている勉強方法で良いということ。僕は勉強に動きを加えながらする勉強スタイルが大好きで、こっちの授業は実践から学ばせることが多く、自分もその勉強スタイルに合っていたから3年間留学を決意した。

新しい自分を見つける!

留学に来て趣味が増えた。まず、読書。文字を読むのも書くのも大嫌いだったのに今では時間さえあれば部屋のソファーで読書をしてる。ちなみに今呼んでいる本はサッカー日本代表の内田篤人選手の「僕は自分が見たことしか信じない」だ。もう少しで読み終わるけど、今年だけで、17冊は読んだ。あんまり多くないじゃんと思う人もいるだろうけど、僕の中では奇跡に近いことなんだ。まず読書を始めただけでも奇跡かもしれない。僕が読む本の種類はさまざま。テーマとかジャンルとかは決めないようにしている。読みたいと思った本や手にとって良いと思えばすぐに読み始める。それでも1番読む本の種類はスポーツ選手がでしてる本。自伝とかが多い。

「日本男児」 長友佑都

「心を整える」 長谷部誠

“Never give up” 田臥勇太

“MOMENTS” Cristiano Ronaldo

まだまだ哲学的な本も読むし、同じよーな体験をした人の本も読む。でも、僕はただ本を読むだけじゃない。読書ノートを作り、本を読んでる間にいいなと思った言葉や文をそのノートに書く。また、暇な時にそのノートを読んで、自分がどんなことを読んでる時に感じてたのかを確認してる。これが僕の趣味であり、自分が必要だった文章力を伸ばすものでもあった。未だに続けてるし、これからも続けていくつもりだ。

そして、僕の中で最も忘れてはいけないのは日記。今、使ってるのは赤色のダイヤリー。とても使いやすいし皆にもオススメしたい。このダイヤリーを貰った時は本当に嬉しかったね。貰った人は内緒だけど…

人生初の日記は昨年の12月28日。今に至るまでの日記を1日も欠かさず書いている。予定も、ダイヤリーを付けながら作っていて学校にも外出先にも持って行く。僕にとってはパスポートよりも大事かな(笑)日記はもちろん全部英語で書いてるし、予定もなるべく英語で書くようにしてる。毎日見るものだし、なるべく英語に浸ろうと思って。

なんで文章力、書く力、読む力が必要だって思ったかというと、大学受験で必ず必要になってくるのがきっかけかな。最初は自分もやらないといけないと強制的にやってたけど、本を読むこと、文字を書くことを習慣にしていくと、だんだん読書が好きになって、しまいには読書ノートまで作ってた。最初は大変だけど自分のものにしたらあとは簡単だし、自分から積極的に始められるようになってくるから、大学受験の為にやってるという気持ちは2、3ヶ月でなくなってた。さらに、書くことに好きになったのは、自分でも成長してるという実感があったし、書いてることに自信がついてたから今でもこうやって続けられているんだと思う。 もし自分の弱点や苦手なことに立ち向かうことになったら、僕はそれを強みにするやり方で乗り越えて成長しつづけたいと思ってる。

感謝しかない。

僕は留学ができて本当に良かったと思ってるし、日本ではできない体験、経験をしてきた。2つの家族とICETにはとても感謝している。もちろんオーストラリアで出会った友達にも。日本で僕が帰ってくるのを待ってくれてる友達にはたくさん自慢話をするつもりだ。

オーストラリアではICETをはじめ、ホストファミリーやDavidson High Schoolの先生方に本当に良くしてもらっていた。彼らの助けがなければ、僕の留学は成功してなかったと思うし、今の自分は存在していないと思う。改めて、たくさんの周りの人達に助けられて生きてきた留学。留学当初は1人を好んでいたのに、今は誰か周りにいないと落ち着かない時もある。

自分の時間を大切にすることはいいこと。でも周りの人と関わるのも悪くないし、なにせ、友達が増える!いろんな友達を作ることで、自分が困ったときに助けてくれるし、友達を助けてあげることで、いい人間関係が作れる。お互い、助け合うことで成長できる。人間関係を上手くできるようになったのは僕と友達になってくれた人達のお陰。

日本の家族には本当に感謝している。じっくり考えると留学はそう簡単にできるものではないし、親に大きな負担をかける。留学制度がある高校に入学できたこともすごいこと。そこから現地校に転入を許してくれた親、高校の先生方にはほんと感謝している。オーストラリアでは現地の先生方、ICETの先生方、たくさんのひとに迷惑もかけ、心配もさせてしまった。でも僕のしたいようにさせてくれて、本当に嬉しかった。今は胸を張って日本に帰り、いい報告ができる。だから日本に帰るのがとても楽しみでもあり、少し、オーストラリアを去るのが寂しくもある。

留学中に先に日本に帰ってしまった友達。後輩に会いたくてしかたなかった。また、同期の生徒が大学生活を楽しんでる姿を見ると、早く帰りたいとも思った。しかし、自分のやらなければならないこと、今を大切にしないといけないことに気づき、最後までオーストラリアを満喫してから帰るつもりだ。今でも連絡をとってくれる友達に感謝してるし、帰る場所があるのはとても嬉しい。 僕は留学中にほんとうにたくさんの人に出会って、たくさんのことを学んだ。

遊びの経験値を増やす

オーストラリアでしたことはたくさんある。オペラハウスにハーバーブリッジ、最初見たときはテンションが上がった。でも、今では何も感じないし、特別感があまりない。3年もいたら大体のことは知ってるだろーとみんなに言われるけど、そうでもない。そのかわり、あなばスポットや公共機関の使い方は現地の人より知ってるし、使いこなしている。1年目の頃の買い物は決まって同じ場所だった。けど2年目からは自分の地図を広げるためにいろんなとこにバス、電車、モノレールを使って巡ってたし、1日中、Cityを歩きまわる日もあった。学校への近道や絶景が見える場所、車で家まで送ってくれる先生方に家までの近道を教えたこともある。地図の開拓のためにいろんな道を歩き、いろんな道を知った。たまに迷った時もあったけど、道はどこかにつながっているものだと信じて後戻りせず前に前に進んで人の家の庭に出たこともあった。たまに、そんなこともあった。

買い物も1年目とは一味も二味も違う。まず、電車で1時間、2時間の場所まで行って買い物をして家に近づく方向で違う場所でまた買い物をしたり、1年だけじゃ絶対に行かないようなとこまで遠出したり、遊びの経験値を貯めながら週末は過ごしてた。2年目は週末になると絶対、ビーチに行ってたかな。土日のどちらかは泳ぎに行くのが習慣だった。ビーチ沿いで買い物もたくさんしたね。ご飯も自分で作ったりもした。なぜか、いつも丼系だったりチャーハンと決まってて、たまにうどんやそ~麺も食べた。美味しいやつもあれば、お箸が動かないごはんもあったけど。ごはんを作るときはだいたい友達を呼んで作ってたかな。実験台として食べさせたり、食べさせられたり、楽しかったね。

1年間留学と3年間留学の違いはこんなとこにも出てくる。服装もオーストラリア仕様だ。ビーチサンダルに短パン、僕は大体上半身は裸で生活してたし、肌足で近くのショッピングセンターにも行ってた。周りにそんな人がたくさんいたから全然平気だった。友達とも仲良くしてたけど、1番ホストブラザーとラブラブしてた。家にいるときは卓球をしたりビリヤードをしたりした。オーストラリアは18歳で車の免許が取れて、弟の運転で良くサーフボードを車に積んでビーチに朝早くから行ったりもした。家にバスケのリングもあるから学校から帰るとよくバスケを一緒にして楽しんだ。シュートをしすぎて今ではリングが折れる寸前だけどね。ビリヤードは強くなったし、今では弟といい勝負をする。やっぱり弟はうまいけど、ホストダッドが1番強い…大人気ないぐらい。卓球はプロぐらいの実力。自分だけマイラケット持ってるしね(笑)

それと留学2年目は自分で髪の毛を切ってた。ただ、最初は散髪代が勿体ないと思ってやってたんだけど、今では後輩に切ってくれと言われる人気ぶり。2年目に入る前にオーストラリアは暑いから短髪にしてもらって、それがすごく気に入ってオーストラリアでバリカンとスキバサミを買ってちゃんとその髪型を維持してたね。たまに、面白い髪型にした時もあったけど… 今では短い髪が好き。 留学中は楽しいことがたくさんあった。たくさんの楽しいことをして得る経験も人生には必要だし、ガイドブックを片手に持ちながら観光名所をめぐるより、はるかにいい観光ができる。自分たちでオーストラリアの好きな場所を増やして行くのも悪くない。

留学とは

たくさんの人が英語、多国語と文化を学べることだと思ってるはず。でもそれは違うってことを留学に来て知った。自分はオーストラリアに行くから、少しオーストラリアについて勉強してから留学に来た。驚くこともいっぱいあったし、オペラハウスを初めて生で見たときは感動した。(笑)でも1番驚いたのは、現地の人達が僕に対して興味深々だったこと。だから、「日本はなんでこうなの?」とか「どうして?」、質問されることが多く、あまり自分でも理解できない日本文化を聞かれて答えられなかったときはすごく恥ずかしかった。それから日本文化についても勉強するようになったし、少しだけ日本の歴史に興味もわいた時期もあった。だからJapaneseのクラスで歴史の話になったとき、自慢げに答える自分がいた。

(これから来る留学生たちに)知ってほしいのは、自分の国の文化を知ってないと留学は….

してはいけない訳じゃないけど、比較するものがなくてただ学ぶだけになってしまう。日本の文化を知って留学に来れば、オーストラリアの文化の中に新しい発見をした時に日本の文化と比較して違いを見つけ、その違いが“人間性“、“性格“、“考え方の違い”などにどう影響しているかがいろいろと見えてきて楽しいし、留学もただ学ぶだけよりはるかに意義がある。それを勉学の武器にもできる。現地校の生徒と混ざって勉強するから、日本はこんなことをするとか、オーストラリアはこうだけど日本は違うとか言うと、生徒も先生も興味深々で聞いてくれる。やっぱりレポート式のテストなんかをした時にオーストラリアと日本の違いを説明しながら書くと、結構高得点がもらえる。日本の文化を知ってることでアドバンテージになるし、留学先で学ぶ文化によって、新しい見解や仕方を学び、それを日本で使用することで成功にもつながると思う。

夢を拡げる

留学に来て、将来の夢がたくさんできたし、最終的な将来の夢も決まった。僕の夢はNIKEに入社すること。子供の頃からNIKEの服、靴をまとってきた。それも、憧れている人がいたし、その人と同じ服を着ること、真似をするのが大好きだった。小学生のころにデイビッド・ベッカムが大人気のときはベッカムヘアーを真似してみんなにツッカムって呼ばれてる時期もあった。憧れの人に似てるって言われるのが、むしょうに嬉しかった。

Anyway、大学進学も、この夢を叶えることができる大学を選んだし、現地校で選択してたBusiness Studiesの影響もあって経営学部国際経営学科に進学することにした。(来年2014年から大学生!)留学をして将来やりたいことも増えたし、将来の視野を世界に広げることもできた。やっぱり、留学の力は大きいし、僕にとっては人生を左右することだった。今まであやふやだった将来の夢も、今では自信を持って言えるし、将来の夢を語れと言われたら、何時間でも語れると思う。語る中でやっぱり留学の経験が大半になるし、日本でも数少ない人しか経験できないことを高校生で経験してるんだから、将来生きていくなかで最大の武器になる。

夢だけじゃなく人間的にも成長したし、考え方も一般的な日本人とは違うと思う。留学は英語力だけじゃない。自分という人間を成長させてくれるもので、成長するには自分が中心になって動かないと成長もさせてくれない、試練を与えてくれる場所でもある。忍耐力も付けば自立性だって付いてくる。

 覚えておいて欲しいのは、自分が動かないと何も起こらないってこと。自分から意見を言わないと必要とされなくなる場でもある。そんなことが日常茶飯事で起こるから自分の成長に繋がっている。その分僕はディスカッション能力もつけられたし、意見を言うのは当たり前。海外で勉強する人にとっては当たり前だけど、日本に帰れば強み。だけど、日本に帰って、自分だけがしゃべるだけのディスカッションはやっぱり意味ないし楽しくない。だからもっと、いろんな人に情報を発信して、オーストラリアでの経験を教えればディスカッションも弾み出すはず。

I’m READY

僕は留学をして本当に良かった。

3年間留学をしたから今の自分がある。

昔の1人で行動していた僕はもういない。

みんなを頼る時もあるし助けて欲しかったら助けて欲しいと言える。

「助けて」を言うことは恥ずかしいことじゃないことも学んだ。

人は1人では生きていけない。

泣いたっていい、乗り越えれば。

人を頼り、頼られる人に変わるのはこれからだけど…….

これからも、全てに全力で生きていきたい。

僕はまだ19歳。これから人生が始まるようなもの。

人生の土台が完璧に仕上がった今、将来に向けて走りだそうとしている。

本当に本当にありがとうございました。

ディビッドソンハイスクールでの3年間を振り返って By H.K.

私のHSC最終日の前日、DHSの校長先生に依頼されて、この学校での私の過去三年間についての短い文章を学校新聞に投稿することになりました。学年末考査以来、HSCのための復習で多忙な日々を送っていたところ、 少し息抜きをする良い機会になりました。HSCの模擬試験、HSC本番、日本での大学受験(これから)と重要な試験が相次ぎ、将来への不安を無数に抱えていた中、久々に過去の思い出に浸ることができました。 5年、10年、50年経って、DHSでの生活を思い起こしたら、何を一番に思いだすのだろうかと想像してみたところ、答えは瞬時に出ました。先生や他の生徒との毎日の授業です。

 オーストラリアとはありとあらゆる面で異なる日本の文化で生まれ育った私にとって、ここでの毎日の授業は、授業の勉強の内容に加えて、また別の新しい発見や学習の宝庫でした。 現在の英語力がなかった留学の出だしの時点では、教室の中で起きている現象を把握することができず、オーストラリアの授業には規律というものは存在しないのかと驚いたものです。 挙手することもなく生徒は自由に発言し、先生より多く話す生徒までいます。しかし、次第に周りの生徒た ちの発言を聞き取れるようになってくると、最初の印象はただの誤解でしかなかったのだと気付きました。 生徒は積極的に授業に参加、貢献することによって授業を生徒主体で進めていたのです。DHSでは生徒の自主性や主体性は大いに歓迎され、奨励されているため、生徒は学習に対する関心を失うことなく努力とやる気を維持することができます。 生徒が学習の受け身になり、機械のように知識を詰め込む日本の教育システムの中にいたのでは得られなかった、貴重な経験になりました。

 このような学習環境は、DHSの素晴らしい教師陣の存在なしには有り得ません。私を受け持った先生方のすべてがいつでも喜んで私を支援をしてくださり、助けを求めた際に断られたことは一度もありませんでした。 また、先生方の説明は非常に簡潔で分かりやすかったのも、私の学習の大きな助けになりました。DHSの先生方は、生きがいと情熱を持って教えているのだと心から感じられました。

 常に勤勉な私は、日本にいる頃に高い成績を維持していましたが、言葉も文化も異なるオーストラリアで以前のような成績を得られるようになるまでに は相当な努力を要しました。 英語が第一言語ではない私は、他の生徒の2倍、3倍以上も毎日勉強しなければなりませんでした。しかし、自分の努力だけではど うにもならないときも度々あり、その度に先生方の支援に救われました。 DHSの先生方の援助なしには、良い成績を出すことも、自分自身の成長の過程を実感 することもできなかったことでしょう。 DHSでの三年間は、「やらされている」または「やらなければならない」ではなく、自分が「やりたい」と思って自主的に勉強をすることができました。

 このような理想的な学習環境での学習と成長の喜びの追求を可能にしてくれたDHSに、心から感謝しています。

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「オーストラリア、シドニーにて正規高校留学プログラムを運営するICET校長原田房枝による留学生の様子や保護者に向けたメッセージ。」


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